影向寺薬師堂

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
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影向寺薬師堂(えいこうじやくしどう)は、神奈川県川崎市宮前区野川本町の仏堂。神奈川県指定文化財。

元禄6年(1693年)4月から翌元禄7年2月にかけて建立された、桁行5間、梁行5間、寄棟造、茅葺形銅板葺(元は茅葺)、正面に1間向拝(元は銅瓦棒葺)が付き、前面と両側面に縁をめぐらし、前方二間を外陣、後方は中央を方三間を内陣、両脇を脇陣とする密教本堂である。柱間寸法は和様の枝割制により、特に桁行中央間は広く13尺(16枝)に定め、中世の前身堂より規模が拡張している。柱は径1尺の上部に粽付の太い丸柱を用い、軸部、斗栱に禅宗様の技法を大きく摂取している。側廻りは、背面を除き内法長押をまわすが、正面中央間のみ長押一本高く入れ、軸部を足固貫、内法貫、木鼻付頭貫、木鼻付台輪で固め、出組斗栱を詰組に配し、軒は二軒半繁垂木である。柱間装置は、外陣が正面中央間に双折桟唐戸をたてるほか、蔀戸を多用し開放的に扱うのに対し、内陣と脇陣は片引戸と連子窓を一部に設けるほかは板壁で閉鎖的に構成される。向拝は角柱を獏鼻付の頭貫虹梁と獅子鼻付海老虹梁で繋ぎ、連三斗を組んで中備に蟇股を置く。内部は、柱高や軸部、斗栱形式が側廻りと同じである。内陣は、外陣及び脇陣境に高さ1尺6寸7尺部の中敷居を入れ、両脇陣背面柱間に引違板戸を建てるほか、中世以来の密教本堂の特色を踏襲して各柱間とも格子戸を篏殺して、厳重に結界していた。両脇陣と外陣境は袖壁付の引込格子戸である。これらは禅宗様技法の摂取とともに、前身堂の形式を踏襲したものであろう。内陣と外陣の構成は近世的な特徴を示し天井は、各陣とも同じ高さに張るが、室に応じて意匠を変える。外陣は鏡天井で中央に龍墨絵、両脇に天女彩色絵を画き、梁行に頭貫と下端をそろえて笈形付虹梁を渡して角束を立て、斗により梁行の天井桁を受ける。特に、両端の虹梁を曲梁としているのは異例の技法である。また、内陣は一面に格縁が漆塗の格天井を張り、平明で広々とした室内を造る。内陣は背面壁に接して間口が大きい須弥壇を置き、その上に間口三間、奥行二間、入母屋造、妻入、軒唐破風付の宮殿を安置する。宮殿は軸部と二重尾垂木付二手先斗栱の詰組、軒の扇垂木に禅宗様を採り入れ、薬師堂と同時期の造立になり、彩色仕上げで、壁面を彩画と透彫彫刻で飾る。なお、薬師堂内外の木部には弁柄塗の痕跡が残されている。内陣の結界を厳重にした平面や軸組、斗栱の形式に中世以来の伝統を継承する一方、内陣や外陣内部に近世的な空間を造り出している。前身仏堂の部材を一部転用し中世の伝統を継承した、神奈川県下旧武蔵国南部における江戸時代中期の密教本堂の代表作と言える。県の文化財に昭和52年8月19日指定され、昭和61年から昭和63年にかけて行われた修理で、当初の形式に復元された。