寛保津波の碑
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寛保津波の碑(かんぽうつなみのひ)は、北海道の光明寺、正覚院、泉龍院、法華寺、無量寺などにある碑の名称である。
背景[編集]
1741年8月27日(寛保元年7月16日)に、北海道・渡島大島の寛保岳が大噴火した。火山性地震 (M6.9、Mt8.4)・山体崩壊が発生し、噴火の翌日に津波が発生。この津波により、対岸の熊石から松前にかけて、1,467人の死者を出した。この津波は「寛保津波(かんぽうつなみ)」と呼ばれている。津波の高さ3mで、佐渡島でも津波を観測[1]。能登・若狭にも津波が押し寄せた。家屋791棟が流出・破壊。船舶被害1,521隻に達した[2]。大島の対岸である江良地域の被害が最も大きく、「津軽藩日記」によれば、450人ほどの死者が出たという[3]。「相沼無量寺過去帳」によると、熊石地方でも男性32人、女性40人、子供38人の合計110人の死者が出た。
この津波の原因は、噴火による大規模な山体崩壊によるという説[4][5]と、低周波地震によるもの[6]との説がある[7]。気象庁は山体崩壊説[8]を採っており、東京大学地震研究所らの研究によれば地震説が有力である[9]。
北海道の光明寺、正覚院、泉龍院、法華寺、無量寺などには「寛保津波の碑」があり、いずれの碑も北海道指定文化財となっている。松前藩の記録「福山秘府」によると、寛保津波と同年の8月18日に、光善寺発願もあって寺院の僧らが集まり、現在の光明寺の境内に卒塔婆を建てて施餓鬼供養した[10]。
碑の一覧[編集]
- 光明寺寛保津波の碑 (こうみょうじかんぽうつなみのひ) - 松前町字建石7の光明寺にある碑。高さ3.79m[10]。
- 正覚院寛保津波の碑 (しょうかくいんかんぽうつなみのひ) - 江差町字本町の正覚院にある碑[11]。
- 泉龍院寛保津波の碑 (せんりゅういんかんぽうつなみのひ) - 松前町字江良435番地の泉龍院にある碑。高さ1.34m[12]。
- 法華寺寛保津波の碑 (ほっけじかんぽうつなみのひ) - 江差町字本町法華寺にある碑[13]。
- 無量寺寛保津波の碑 (むりょうじかんぽうつなみのひ) - 八雲町熊石相沼町129の無量寺にある碑[14]。
脚注[編集]
- ↑ 羽鳥徳太郎, 片山通子、「日本海沿岸における歴史津波の挙動とその波源域」 『東京大学地震研究所彙報』 第52冊第1号、1977.11.30、pp.49-7,
- ↑ “ネバド・デル・ルイス火山1985年噴火(コロンビア)”. 財団法人消防科学総合センター・消防防災博物館. 2015年5月1日確認。
- ↑ “泉龍院寛保津波の碑 せんりゅういんかんぽうつなみのひ”. 2020年11月8日確認。
- ↑ 崩れた大地震説 1741年の渡島西部大津波は「火山崩壊」
- ↑ “日本海東縁, 奥尻海嶺および周辺の大地震と海底変動”. 海洋研究開発機構(JAMSTEC) (1998年1月14日). 2003年7月26日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2008年12月3日確認。
- ↑ 日本海東縁海域の活構造およびその地震との関係(
PDF) (独)産業技術総合研究所 地質調査総合センター
- ↑ 渡島大島の大津波
- ↑ 渡島大島 有史以降の火山活動
- ↑ 相田勇:噴火により発生する津波の見積り:1741年渡島大島の場合 東京大学地震研究所彙報. 第59冊第4号, 1985.3.30, pp. 519-531
- ↑ 10.0 10.1 “光明寺寛保津波の碑 こうみょうじかんぽうつなみのひ”. 2020年11月8日確認。
- ↑ 正覚院寛保津波の碑 しょうかくいんかんぽうつなみのひ - 文化庁
- ↑ 泉龍院寛保津波の碑 せんりゅういんかんぽうつなみのひ - 文化庁
- ↑ 法華寺寛保津波の碑 ほっけじかんぽうつなみのひ - 文化庁
- ↑ 無量寺寛保津波の碑 むりょうじかんぽうつなみのひ - 文化庁