宮田義二

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宮田 義二(みやた よしじ、1924年4月23日 - 2012年6月22日)は、労働運動家。全日本金属産業労働組合協議会(金属労協)最高顧問、日本鉄鋼産業労働組合連合会(鉄鋼労連)最高顧問[1]新日本製鐵労働組合連合会(新日鉄労連)顧問[2]松下政経塾相談役[3]。元・鉄鋼労連委員長、金属労協議長、松下政経塾塾長。総評内右派の中心的人物で、労使協調路線、金属労協の結成、連合につながる労働戦線統一を推進した[4][5][6]宮田早苗民社党代議士)は実兄[7]

経歴[編集]

山口県大津郡三隅町中村(現・長門市)生まれ。実家は造酒屋。1939年3月八幡中央高等小学校卒業。家計の状況から中学校への進学を諦め、日本製鐵に入社[注 1]八幡製鉄技能者養成所に入学。その傍ら1941年4月福岡県小倉工業学校専修科(電気科)にも入学。1943年3月福岡県小倉工業学校専修科卒業。同年4月八幡製鉄技能者養成所中等科に入学。1944年11月軍に入隊[8]、1945年2月蔚山航空整備隊に配属[9]。同年3月八幡製鉄技能者養成所中等科修了[8][9][注 2]朝鮮で敗戦を迎え、まもなくヤミ漁船で帰国し職場に復帰[8]。同年11月日本共産党に入党、労働組合運動に参加[10]。1947年10月に八幡製鉄労働組合執行委員、青年部長に選出されたが[8]、この頃から共産党の指導に疑問を持ち、1948年に離党。これをめぐり糾弾を受けたことで反共主義に傾斜した[10]。1950年八幡製鉄労組書記次長、1952年同総務部長。同年12月に労働組合主義を主張するインフォーマルグループ・盟友会を結成し、会の代表となる[1]。また自宅で「宮田学校」を開き、中村卓彦(のち鉄鋼労連委員長、IMF-JC議長)、佐々木正典(のち新日鐵労連会長、IMF-JC事務局次長)、晴気健三(のち新日鐵八幡労組組合長)ら若手活動家を育成した[10]

1954年6月八幡製鉄労組書記長に選出[8]。1953年の書記長選から同志会の蔀充と“4勝3敗”の激戦を繰り広げた後[1]、1959年9月に八幡製鉄労組書記長から日本鉄鋼産業労働組合連合会(鉄鋼労連)書記次長に転出した。1960年9月に鉄鋼労連書記長に選出[10]。1961年6月に大手組合の有志を中心にインフォーマルグループ・鉄鋼連絡会議を結成し、鉄鋼労働運動を労働組合主義路線に転換すべくオルグ活動を展開した[1][11]。1964年の国際金属労連日本協議会(IMF-JC、1975年以降全日本金属産業労働組合協議会)結成に大きな役割を果たし[10]、1966年の鉄鋼労連のIMF-JC加盟を推進[12]。1968年の組合役員選挙で大手組合の執行部から左派勢力が一掃されて、組合主義者グループの完全支配が実現され、それを基盤にして同年8月鉄鋼労連中央執行委員長に選出された[13][14]。左派の有能な書記であった千葉利雄を政策ブレーンとした。

IMF-JC結成以降は労働戦線統一を推進[7]。1970年2月から滝田実全繊同盟会長(同盟会長)、宝樹文彦全逓委員長、原口幸隆全鉱委員長らと労働戦線統一問題に関する非公式会議を持ち、同年11月に労働戦線統一世話人会を発足させてそのメンバーとなった[15][16]。1973年には民間労組共同行動会議を発足させた[1]。1973年9月から1984年9月までIMF-JC第2代議長[17]。1974年8月の鉄鋼労連大会で前年プラスアルファの賃上げ方式を否定し、「物価ミニマム論」を提唱[12]。1975年春闘で「賃金自粛論」[18]、1975年8月の鉄鋼労連大会で「経済整合性論」[19]、1976年9月の鉄鋼労連大会で「賃上げミニマム論」[14]、1977年に「社会契約的労働運動」を提唱し、所得政策の導入回避に影響を与えたとされる[1]。1977年9月の鉄鋼労連大会では公然と賃上げ自粛を提唱し、議論を呼んだ[20]

1978年9月に新たに設けられた鉄鋼労連の会長職に就任[9][21]。1979年新日本製鐵を定年退職[1]。1984年9月鉄鋼労連会長を退任[9]、同年最高顧問に就任[1]。その後、社団法人社会経済国民会議政治問題特別委員会委員、政治改革推進協議会(民間政治臨調)委員を務め、小選挙区制導入を推進した[4][5]。また松下幸之助に請われ、1979年の開塾時から財団法人松下政経塾の理事[22]、1986年から副塾長[1]、1987年11月から2000年3月まで第2代塾長を務め[23]、多くの政治家を育成した[24]。1982年2月に国際産業・労働研究センターを設立し、1985年に労働省認可の社団法人となり理事長に就任[25][26]。1984年8月から1987年まで臨時教育審議会委員[9]。1988年財団法人世界平和研究所理事。1990年社団法人日本生産性本部理事[26]行政改革推進国民運動会議代表[27]、読売新聞憲法問題調査会会長代理も務めた[28]

2012年6月22日、千葉市内の病院で死去、88歳[6]。同年9月1日に青山葬儀所で金属労協、基幹労連新日鉄労連、公益財団法人富士社会教育センター、公益財団法人松下政経塾の5団体代表を発起人としたお別れ会が開催され、野田佳彦首相、古賀伸明連合会長などが出席した[29]

著書[編集]

  • 『蛙のヘソづくり――私の労働組合論』(銀座出版社、1972年)
  • 『組合ざっくばらん』(東洋経済新報社[V-books]、1982年)
  • 『指導力――わたしの実践哲学』(PHP研究所、1983年)
  • 『組合主義に生きる――労働運動七十五年』(日本労働研究機構、2000年)
  • 『巻頭言集――「産業労働」創刊15周年記念』(国際産業・労働研究センター、2000年)

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. 1934年官営製鐵所と民間企業が合同して日本製鐵を設立。1950年日本製鐵が過度経済力集中排除法により八幡製鐵富士製鐵日鐵汽船播磨耐火煉瓦の4社に分割。1970年八幡製鐵と富士製鐵が合併して新日本製鐵が発足。2012年新日本製鐵と住友金属工業が合併して新日鐵住金が発足。2019年日本製鉄に社名を変更。
  2. 『「現代日本」朝日人物事典』(1990年)では1944年八幡製鉄技能養成所中等科卒。『日本労働運動史事典』(2015年)では「八幡製鉄技能養成所中等科卒業と同時に応召」。

出典[編集]

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 1.8 宮田 義二 C.O.E. オーラルヒストリー・政策研究プロジェクト
  2. 【おくやみ】宮田義二氏(元鉄鋼労連〈現基幹労連〉中央執行委員長、新日鉄労連顧問) 日刊工業新聞(2012年6月28日)
  3. 財団法人 世界平和研究所 役員名簿(理事・幹事、評議員等)Icons-mini-file acrobat.gif PDF CANPAN
  4. 4.0 4.1 羽原清雅「小選挙区制導入をめぐる政治状況―――その決定に「理」は尽くされたか」『帝京社会学』第20号、2007年
  5. 5.0 5.1 吉田健一「平成初期における政治改革論議の本質とは何だったのか」『鹿児島大学法学論集』51巻2号、2017年
  6. 6.0 6.1 (おくやみ)宮田義二氏が死去 元鉄鋼労連委員長 日本経済新聞(2012年6月27日)
  7. 7.0 7.1 山田宏二「宮田義二」、朝日新聞社編『現代人物事典』朝日新聞社、1977年、1366-1367頁
  8. 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 宮田義二『組合主義に生きる――労働運動七十五年』日本労働研究機構、2000年
  9. 9.0 9.1 9.2 9.3 9.4 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年
  10. 10.0 10.1 10.2 10.3 10.4 水野秋「宮田義二」、朝日新聞社編『「現代日本」朝日人物事典』朝日新聞社、1990年、1580頁
  11. 芹澤壽良1960年代後半期の八幡製鉄所におけるインフォーマルグループ育成策に関する総括的文書Icons-mini-file acrobat.gif PDF」高知短期大学『社会科学論集』第99号抜粋、2011年
  12. 12.0 12.1 神代和欣、連合総合生活開発研究所編『戦後50年産業・雇用・労働史』日本労働研究機構、1995年
  13. 芹澤壽良、青木宏之「《日本鉄鋼産業労働組合連合会本部書記》芹澤壽良オーラル・ヒストリーIcons-mini-file acrobat.gif PDF」平成26年度 日本学術振興会科学研究費補助金[基盤研究(B)]研究成果報告書【課題番号:23330115】
  14. 14.0 14.1 法政大学大原社会問題研究所編『新版 社会・労働運動大年表』労働旬報社、1995年
  15. 日本労働年鑑 第52集 1982年版Icons-mini-file acrobat.gif PDF 法政大学大原社会問題研究所
  16. 労戦統一世話人会[労]1970.11.11『社会・労働運動大年表』解説編
  17. 写真に見る金属労協50年の歩みIcons-mini-file acrobat.gif PDF 金属労協(2014年)
  18. 久谷與四郎「「春闘」の意味と役割, 今後の課題」『日本労働研究雑誌』2010年4月号(No.597)
  19. 日本労働研究機構編『リーディングス日本の労働3 労働組合』日本労働研究機構、2001年
  20. 鉄鋼労連第57回定期大会[労]1977.9.7『社会・労働運動大年表』解説編
  21. 新川敏光「もう一つの五五年体制――交叉階級的連合と企業主義」『北大法学論集』47巻1号、1996年
  22. 成功するまで続けること ~政経塾20周年にあたって(塾報) 松下政経塾(1999年3月)
  23. 財団概要 松下政経塾
  24. 高木郁朗監修、教育文化協会編『日本労働運動史事典』明石書店、2015年、335-336頁
  25. 二村一夫「労働関係研究所の歴史・現状・課題」、『二村一夫著作集』
  26. 26.0 26.1 宮田義二「労働運動これからの力点Icons-mini-file acrobat.gif PDF」『産政研』No.11、財団法人中部産業・労働政策研究会、1991年
  27. 第95回国会 衆議院 行財政改革に関する特別委員会公聴会 第1号 昭和56年10月22日 国会会議録検索システム シンプル表示
  28. 憲法と現実のズレ見直し 憲法問題調査会第1次提言の全文 1992/12/10 読売新聞朝刊
  29. 宮田義二さんお別れの会(2012年9月1日) 金属労協/JCM(2012年9月1日)

関連文献[編集]

  • 八幡製鉄労働組合編『八幡製鉄労働運動史 上巻』(八幡製鉄労働組合、1957年)
  • 宮田義二「私の履歴書」『日本経済新聞』(1978年12月)
  • 現代革命運動事典編集委員会編『現代革命運動事典』(流動出版、1981年)
  • 高梨昌編著『証言 戦後労働組合運動史』(東洋経済新報社、1985年)
  • 平凡社教育産業センター編『現代人名情報事典』(平凡社、1987年)
  • 御厨貴、政策研究大学院大学『宮田義二オーラルヒストリー(全日本金属産業労働組合協議会・日本鉄鋼産業労働組合連合最高顧問)――オーラル・メソッドによる政策の基礎研究/C.O.E.オーラル・政策研究プロジェクト』(御厨貴、2000年)
  • 日本労働研究機構編『戦後労働組合運動の歴史――分裂と統一』第2集(日本労働研究機構、2003年)
  • 政策研究大学院大学C.O.E.オーラル・政策研究プロジェクト『宮田義二オーラルヒストリー――全日本金属産業労働組合協議会・日本鉄鉱産業労働組合連合最高顧問』(政策研究大学院大学 、2003年)
  • デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説