亀屋忠兵衛事件

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亀屋忠兵衛事件(かめやちゅうべえじけん)とは、宝永6年(1709年)12月初旬に発生した公金横領事件である。

概要[編集]

亀屋忠兵衛とは、大坂にある飛脚問屋の亀屋の主人である。しかし、主人とはいえ直系では無く養子であり、そのため店の実権は養母が掌握していて肩身の狭い思いをしていた。忠兵衛はそんな境遇から憂さ晴らしのために女に、槌谷のお抱え遊女で評判の美女である梅川に入れあげて、その遊興費を店の売上金をくすねて工面していた。しかしその遊興費がいつしか膨れ上がり、いくら主人とはいえ賄うのが難しくなりだした。そこで忠兵衛は、西国のさる大名から預けられていた現金託送300両という大金をネコババして自らの穴埋めにしてしまった。これが露見すれば間違いなく死罪である。

宝永6年(1709年)12月初旬、忠兵衛は店の売り上げから250両を奪い、その金で梅川を見受けし、そのまま駆け落ちした。当然忠兵衛らには追手が出され、宝永7年(1710年に忠兵衛・梅川らは逮捕され、共に投獄された。宝永7年12月5日1711年1月23日)、判決が下されて忠兵衛は店の金と大名から預かった金をいずれも横領したことから市中引き廻しの上で死罪に、亀屋は闕所となった。梅川は忠兵衛に付いていっただけとして無罪放免となり、祇園や西陣の遊郭で遊女として務めた後、伏見で庵を構えて暮らしたと言われる。

この事件は後年、芝居の題材となった。近松門左衛門人形浄瑠璃・『冥途の飛脚』がそれで、これは初演から大評判となった。この近松作品は後に歌舞伎にもなり、正徳3年(1713年)にはこれを改作した紀海音・『傾城三度笠』が上演されて話題になった。