リトルビッグホーンの戦い
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リトルビッグホーンの戦いは、1876年6月25日にアメリカ合衆国モンタナ州で起きたアメリカ合衆国陸軍第7騎兵隊とインディアンとの戦争である。
白人によるインディアンへの見解[編集]
1868年7月28日に黒人を含む全てのアメリカ国民に平等の権利を与えるアメリカ合衆国憲法修正第14条が発効していたが、インディアンに対しては同種の権利が認められなかった。南北戦争で北軍の指揮官を勤めたユリシーズ・グラント大統領はインディアンに融和的な政策をとり続けていたが、これに異議を唱える反グラント派の軍人にウィリアム・シャーマン陸軍相やフィル・シェリダン中将に並んで第7騎兵隊を指揮するジョージ・アームストロング・カスターという名の将校がいた。
インディアン討伐の計画[編集]
1874年、ミズーリ軍管区の司令官シェリダン将軍命令を受けたカスターは、インディアンとの取り決めを無視して先住民の聖地ブラックヒルズに遠征し、そこで金鉱を発見する。
結果[編集]
功績に焦ったカスターは、斥候隊の敗北を知らず、部下の意見にも耳を貸さずに215人の部下を引き連れてインディアンを襲撃しようと河川を渡河中にインディアンに銃撃を受けた。部下等はカスターを引き連れて崖の上に移動してそこで4000人余りのインディアンに包囲された。第7騎兵隊は最新式のスプリングフィールド銃を所持していたが、これは一発ずつ装填する銃で、しかも弾丸が不足し、さらに白兵戦ではインディアンの所持している弓、槍、トマホーク、商人から買い求めた旧式の弾倉装填式ウィンチェスター銃の方が有利であった。第7騎兵隊は全滅し、インディアンの勝利となった。カスターの落馬からわずか30分でリトルビッグホーンの戦いは終わった。