石見町女児殺人事件
石見町女児殺人事件(いわみちょうじょじさつじんじけん)とは、1981年に島根県で発生した強姦殺人事件である。起訴された被告は、無罪判決が確定して、事件は迷宮入りした。
概要[編集]
1981年7月16日深夜、島根県邑智郡石見町(現在の邑南町)のドライブインからが小学1年生の女児Aが行方不明となった。捜索が行われた結果、ドライブインから500メートルほど離れた場所にあった山中の林からAが遺体となって発見された。司法解剖が行われ、死因は頸部を紐状のもので絞められたことによる絞頸によるものだと判明。死因となった絞頸以外にも、処女膜の損傷、溺水の痕跡も見当たった。
捜査が行われ、塗装工見習いの男性Bが任意同行された。男性Bは、事件当日にAが行方不明となったことに気づいて探しに出た家人が、午前2時頃に仰向けに寝ているところを目撃していた。Bは、当初は事件当日にビールを飲んでいて酔っぱらっていたために記憶がないと容疑を否認していたが、18日には自分が女児を殺害したことを認めた。現場に残されていた足跡が、Bの靴の足跡と一致していたこともあって、緊急逮捕に至った。8月9日には、強姦致傷、殺人罪で起訴された。
裁判経過[編集]
1981年9月29日の初公判にて、男性Bは犯行を否認。男性Bは自白を撤回して、当初に検察に語っていた通り、酔っていったために事件当日の記憶はないと主張した。そのため、検察と弁護側が全面対決となる構図となった。
- 検察側
- 被害者と被告人に同じ種類の植物の毛が付着している
- 現場に残されていた足跡が被告人のものと一致している
- 被告人の自白は、自発的なものであり、ポリグラフ検査の反応などからも、信用性に値する
- 弁護側
- 精神鑑定では、被告人に小児性愛の傾向はない。
- 自白お証拠価値そのものに疑問があり、内容も矛盾しており信用性についても疑問がある。
- 被告は事件当時は、急性アルコール中毒に陥っており、自白したような犯行は不可能
- 検察側が示した、物証は脆弱で、被告の犯行を結び付けるものではない
1990年3月15日、松江地方裁判所(須田贒裁判長・森野俊産・三井陽子)は、無罪判決を言い渡した。判決では、Bの自白について、証拠価値そのものは認めたものの、矛盾点が多くあり、秘密の暴露もなく、供述の変遷などの不自然な点から信用性を否定。ポリグラフ検査の反応についても、自白の信用性を認めるに至るものではないとした。現場の足跡は、現場が立ち入り禁止の場所ではなく、記憶を失くしていた事件当日に現場を徘徊した際に着いた可能性を指摘。植物の毛についても、事件以前、または以後に事件現場以外で付着させた可能性を指摘した。
検察側はこの判決に控訴を断念。男性Bの無罪判決が確定した。
判決確定後[編集]
判決後、被告人は3163日にも及んだ身柄拘束による、刑事補償と費用補償を請求した。結果、刑事補償2973万2000円、費用補償91万5000円を得た。
参考文献[編集]
- 日本弁護士連合会刑事弁護センター編 『無罪事例集 第一集』(日本評論社、初版1992年11月15日) ISBN 978-4535580343
- 『判例時報 (1358) 号』(判例時報社 初版1990年11月1日) ISBN 978-4191252837