タイタニック号

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RMSタイタニック(たいたにっく、英:RMS Titanic)は、英国サザンプトンから米国ニューヨークに向かう処女航海の途中、1912年4月15日の早朝、北大西洋で氷山に衝突し、沈没した英国の客船である。当時は世界最大規模の海難事故と言われた。

基本事項[編集]

  • 船籍:英国
  • 所有:ホワイト・スターライン
  • 母港:リバプール
  • 進水:1911年5月31日
  • 処女航海: 1912年4月10日
  • 総トン数:46,328トン
  • 全長:269.1m
  • 全幅:28.2m
  • 全高:10.5m
  • ボイラー:スコッチ式ボイラー24基、
  • エンジン:レシプロ4気筒エンジン2基
  • 速力:23ノット

概要[編集]

RMSタイタニックは全長269.06 m、全幅28.19 m、船底からデッキまでは32mであった。RMSタイタニックはオリンピック級客船の2番目の船であった。1番目はオリンピック号、2番目がタイタニック号、3隻目はブリタニック号であった。これらの船は北アイルランドベルファストハーランド・アンド・ウルフ造船所で建造された。RMSタイタニックには垂直方向に鉄の防水隔壁で区切られており、16の区画があった。2区画に浸水しても船全体は沈まない設計で、当初は不沈の船と言われていた。しかし水平方向の仕切りはなかった。エンジンは内燃機関ではなく蒸気機関であった。

1912年4月14日氷山と接触して沈没した。衝突から約2時間30分後に沈没した。設計では沈むまでに1日持ちこたえるはずであった。

海水温は0度以下であり、平均20分以上海水につかると死亡する温度であった。1インチほどの幅の亀裂が5ヶ所できただけであったが、そこから浸水した。低温のために船体の金属特性がもろくなっていたことも考えられる。生存者は遭難信号に気づいたカルパチア号に救助されたが、カルパチア号の到着は午前4:10頃であり、多数の犠牲者を出した。2,224名中、710名が救助され、1,514名が死亡した。生存率は32%であった。MSタイタニッの救命ボートは1,178人分であったから、人数分に不足している。タイタニックの信頼性が高いと想定されていたことも要因であった。

なおタイタニックの操舵性能が悪かったという証拠はない。

1985年9月2日、アメリカとフランスの合同調査団が、カナダニューファンドランド島の沖合の海底およそ4000メートルにおいて、タイタニック号を発見した。

見張り[編集]

当時は凪であった。14日の11:40、氷山を450m手前で発見した。双眼鏡がなく、回避するために十分な距離がなかった。減速しながら舵を切ったが避けきれなかった。

無線室[編集]

無線室では乗客の電報依頼をさばくために忙殺されていた。彼らは電信会社からの派遣社員であった。前日の4月に氷山の情報を6件受けたが、いずれも見過ごされたと言われる。

査問員会[編集]

事故を受けて査問委員会は、5月2日、イギリスとアメリカで査問委員会が開催された[1][2]。 査問委員会の結論は次の通りであった。

  • スピードを出しすぎた。
  • 見張り員の配置が不適切であった。
  • 監視員の配置が不十分であった。

沈没の新説[編集]

2016年にイギリス Blink Entertainment Distribution/What Iceberg Pruductions制作(NHK BS「タイタニック 新たな真実」 12月10日(月)23:00放送)のドキュメンタリーで当時の資料を再発掘した徹底検証を行い、沈没の新説を打ち出した。またインデペンダント紙でもこの説は報道された[3]

それによると、タイタニックの研究者であるセナン・モロニーは航海に出る前に撮影されたタイタニック号の写真を見て、船体の側面に黒い焦げ跡があることを発見した。航海前の火災によって船の防水隔壁がすでに変形しており、衝突前の火災により鋼材は1000度の熱にさらされて強度が低下し、設計強度の25%になったと指摘した。

乗組員の証言も合わせると、ルファーストの造船所の港を離れる前から、自然発火による石炭火災が発生していた。石炭は集積すると酸化により、熱を発生し、自然発火しやすくなる。火災に対応するため、石炭倉庫の石炭をボイラに投入するほかなかった。結果として船は全速力で進んだ。当時は炭鉱ストライキが行われており、十分な石炭の入手が難しく、タイタニック号はニューヨークにたどり着くギリギリの量しか石炭を積んでいなかった。石炭の消費が増え、途中で石炭不足になるおそれがあった。氷山に衝突するリスクより、迂回すれば途中で石炭不足で止まるリスクが大きいと判断された。

端的に言うと、石炭庫での火災により船体の強度が一部で最大75%低下していた事が沈没の主な原因で、氷山との衝突は沈没のトリガーになったに過ぎない、という事らしい[4][5]

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船長は、海水をポンプで排出しても無駄(沈没は食い止められない)と考え、ポンプで海水を排出しなかった。排出していたらカルパチア号が到着するまで時間を稼げた可能性がある。

参考文献[編集]