ウィークペディア

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
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ウィークペディアは役に立たない百科事典です。

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ウィークペディア
開設2009年3月20日
ウィキシステムMediaWiki
分野百科事典
言語日本語
使用時刻日本標準時(JST)
現状閉鎖
創設者Hanakayu
運営者Fievarsty(Azeha)
所属Weekmedia project
白銀のミヤコ様.pngEnpedia:おすすめ項目 (仮)に追加されています。
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ウィークペディア(英:Weekpedia)は、マイサイト ユーザーズ 2.0 (myht) 上に設置されていたMediaWikiサイト。現在はアクセス不能になっている。

概要[編集]

ヘビーユーザーが歴史に詳しい1人(T氏[1])だけで最近の更新の半分以上同氏という状況だったため、歴史分野の記事(特に三国志)が多かった[2]。当サイトの利用者は「ウィークペディアン」と呼ばれていた。

なぜ「Weekpedia」というサイト名であるのか明らかにされたことはないが、おそらくWikipediaをもじっただけで深い意味はないだろう。決してweak(弱い)ではない。あまりに名前がWikipediaそっくりなので、検索エンジンではバナー「Weekpedia」と入力すると、よく大手インターネット百科事典サイトWikipediaの誤りとされて勝手に修正されがちであった[3]

画像募集イラストの気の抜けたイラストなどユーモア色の強い百科事典で、2010年代半ばにおいて、日本語の(分野を特定しない)過疎ペディアとしては、本ウィキ(Enpedia)と二大巨頭をなしていた。しかし、2016年に運営者多忙により閉鎖。Fandomの『日本通信百科事典[4]が後継サイトを主張する。ただし、そちらに拠点を移したのは実質T氏のみで、利用者の多くはEnpediaへ移住している。

ウィークペディアを表す略語として「WP」が存在するが、Wikipediaと紛らわしいので余り好んでは使われなかった。

歴史[編集]

神話時代(創設者 hanakayu の来歴)
創設者hanakayuは2007年頃にアンサイクロペディアを発見。2008年2月23日についにアカウントを作成。2009年5月14日には編集回数500回を超え、徐々にウィキ界隈の沼にはまっていく[5]。その関心は徐々にアンサイクロペディア外へと向かっていき、@Wikiに複数のウィキを設置する。たとえば、2009年1月29日にはバクマンウィキ[6]を、同年3月4日にはアンサイクロポディア[7]なるウィキを設置している。
その関心はさらに外へと向かい、偶然「RentalWiki[8]というウィキファームを発見。ここにWikiparodyなるウィキを作ろうと思い、翌日利用登録しようとするも、残念ながら当時は既に利用登録受付を停止していた。その後、暇つぶしにこのRentalWikiへアカウントを取得し、利用者ページで「はやく利用登録再開してー」などとほざいでいたところ、その2日後、Fievarsty[9]がノートにて他にもMediaWikiのウィキファームがあることを教える。そこで、Hanakayu氏は早速Fievarstyから聞き及んだ「CMS-Park」にてWikiparodyを作る。
しかし、ロゴの設定がわからず、Fievarstyに相談したところ、CMS-Parkではサイトのファイル設定が出来ないことが判明する。そこでFievarstyは新たに マイサイト ユーザーズ 2.0(myht)を紹介。ここにWikiparodyを作成する。なお、当初hanakayuは間違えてXOOPSのサイトを作ってしまい、しかもそれに気が付かず試行錯誤していたところ、Fievarstyの指摘でようやく気が付き、MediaWikiにして作り直したらしい[10]
このように紆余曲折を経ながら、hanakayuは2009年3月17日にいよいよ「Wikiparody」(Wikicollectの前身)の創設を達成。この3日後の3月20日には、同じくmyhtにウィークペディアが設置された。
設立(設置当所のウィークペディア)
Wikipediaのパロディサイトを集めるという目的のWikiparodyに対して、このWeekpediaに関しては、あまり事前にテーマも考えずに作った適当なサイトだったようである。当時のメインページ[11]には「適当に作ったウィキペディアもどきです」などと書かれていた。記事の内容も、アンサイクロペディアからのコピペや個人的なメモ、荒らしが残した悪ふざけの残骸がほとんどを占めていた。
そういう経緯であるから、方針等が整備されていないのは当然のことで、ロゴも適当な手描き文字のもので、メインページもWikipediaのデザインを利用し、内容はふざけた冗談に満ち満ちていた[12]
ちなみに、初代エンペディアは、そのほぼ一か月後の4月24日にオレリ氏が同じくmyhtに設置した。いずれの創設者もアンサイクロペディア出身であり、当初のサイト趣旨の曖昧さや、黎明期にはサイトの内容は外部からの転載や意味のない落書きであふれていたという点、ロゴが適当であったことなど、共通点は数多い。のちに両サイトが凌ぎを削り合ったのは、この設置当所の頃に既に定められていた運命だったのであろう。
発展(ウィキが徐々に成長していく)
如上のように、どうしようもない内容であふれていたこのウィキであるが、2010年7月11日から、三国志関連の記事を熱心に著述する利用者T氏が現れる。これまで情報源になりえなかったこのウィキは(はっきりと方針として確立されたわけではないが)徐々に利用者が思いおもいに共同で執筆編集する百科事典を目指すプロジェクトへと変容し発展していった。
2011年7月ごろより2011型スパムが猛威を振るうが、12月24日にhanakayuが技術面に詳しいFievarstyのアドバイスを受けながらスパム対策の拡張機能を導入したことで、この波は一段落する。しかし、2012年秋頃にかけて、このスパムの第二派が襲来。この頃、肝心の創設者hanakayu自身が多忙等を理由にウィキ離れをしてしまっていて音沙汰ないため、誰もサイトの技術面を操作できず、抜本的な対策が不可能であり、サイトは存廃の窮地におかされた[13]。幸いに運営者は2013年2月25日にようやく復活し、MediaWikiの管理に詳しいFievarstyという人物へサイトのファイルアクセス権限を与えた。同氏により同年12月24日にスパム対策のさまざまな処置が実施されたことで、スパムの攻撃は収まり、廃止の危機を免れた。
これ以降、ウィキの運営はFievarsty氏中心に続けられていくこととなった。
改革(「新生ウィークペディア計画」で様変わり)
2014年8月1日の新ロゴ制定に代表されるように、ファイルアクセス権限をFievarsty氏が譲り受けたのちのWeekpediaでは、同氏主導のもと改革が進行し、「新生ウィークペディア計画」と呼ばれていた。「ウィークメディア財団」なる架空の組織が生まれたのもこのころである。
これまで十分に整っていなかった運営の方針やサイト目的、ライセンスなどについて、利用者間で草案が一気に整えられた。また、ロゴやメインページのデザインの刷新なども議論が進んだ。これらの草案が完成してから正式化されるまでの間には、創設者Hanakayu氏が姿を見せるのを待ったため多少時間があったものの、最終的には氏の承認をうけて方針として確定され、Weekpediaは真新しく生まれ変わった。メインページについて言えば、まず新しいメインページの試案としてFievarsty氏により「メインページ (仮)」が作られ、これが創設者の承認を受けてメインページに移され、従来のメインページは「メインページ(笑)」に移され残された。サイト名についても変更する案があったが、これは姿を見せた創設者が変更して欲しくない旨をコメントしたため現状維持となった。
さらに、2014年には、BaseWikiの閉鎖に伴い、このWeekpediaがmyhtで最も古いウィキとなった。
問題の続出(運営継続にあたって困難と直面)
改革などを通じて、過疎ペディアとしては最低限の賑わいを見せていたこのウィークペディアのコミュニティであるが、ほぼ同時期に開設された[14]Enpediaと方針がダダ被りなうえに、運がなかったのか、Fievarsty氏のただならぬ改革への努力も虚しく、あまり発展せず利用者が集まらなかった。
また、もともとはEnpediaもWeekpediaもmyhtのサーバーを利用していて、慢性的に重いことが名物であったが、Enpediaは2013年4月6日このころよりスタッフ個人のVPSを間借りしてアクセスが快適となっていた一方で、myht上での運営を継続したWeekpediaでは、いわゆる「2011型スパム」が依然myhtの放置ウィキを襲っていたため、たびたびサーバーの重さが編集に支障をきたすほど深刻になっていた。さらに、myhtのサーバーにはかねてよりセキュリティ問題が指摘されていた。
加えて、2015年6月にはデータストレージがmyhtであらかじめ指定されている容量である100MBを突破してしまい、そのため記事の新規作成や画像のアップロード、拡張機能の導入などが制限さえされる事態に陥った。
行き詰まりから閉鎖へ(ついにウィキは桜と散った)
いちおう2015年7月19日に「セィバェスチュン」の記事で1000記事を達成したのだが、このままでは恒久的なWikiの運営継続は不可能で、創設者を交えて今後について議論したいところ、創設者はおそらく大学受験間近で忙しくしているようで、一年以上にわたって連絡が取れていない状況であった。利用者も集まらず、今後の展望も絶望的なこの頃のウィークペディアンの壮絶な悲壮感は、日記に瞭然と現われている。
あまりに諸問題の状況が深刻なのを見かねて、当時ウソペディアユアペディアの管理者として知られていたTakumi3が2015年6月12日、今後について(サーバー移転など)を「Weekpedia:議論処」で提案した[15]。2015年9月12日にはついに創設者hanakayuが舞い戻り、hanakayu自身では今後の運営の継続が不可能と言うことで、ウィークペディア及びウィキコレクト両サイトの運営権を全てFievarsty氏に譲るという旨を含んだコメントがされる。これをうけて、いろいろと議論がありつつ、2015年11月にFievarsty氏を中心に『日本通信編集式百科事典』なるサイトが誕生した[16]。ちなみにFievarsty氏は、ウィキがWikipediaのパチモンと思われないよう、Skinを敢えてVectorではなくMonobookにしていた。
こうした流れを受けて、ついに閉鎖への準備は整い、姉妹プロジェクトのウィキコレクトとともに、2015年12月をもって編集サービスを終了することを発表。しばらく閲覧は可能であったが、法的問題等の対応が不可能ということで、2016年1月ごろにアクセス不能となった。
閉鎖にかかわる余談(閉鎖後の記事・利用者の行方)
日本通信編集式百科事典を開設したFievarsty氏は、当時20代前半のおそらく忙しい時期で[17]、新たに開いたWikiの運営継続に不安があったようである(実際にすぐ閉鎖され本人はウィキブレイク宣言した)。閉鎖の議論の中で、バックアップとしてWikiducca等への記事の積極的な輸出も認めるコメントを9月20日に議論処にてしている。このWikiducca輸出案を最初に提案したのはおそらくTakumi3だが、当ウィキが選ばれた理由は、おそらく日本語圏の小規模ウィキのなかでアクセス速度が良好である、ということだったのだろうと推測される[18]。しかし、当サイトは個人サイト色の強い未熟なウィキサイトで、デモクラティックの強いウィークペディアの後継サイトとしては不適であった。そもそもWikiducca側の運営者はウィークペディア式の民主的なコミュニティウィキを作ろうとは積極的な姿勢を見せていなく、いわば迫る閉鎖に焦るウィークペディアンらにより一方的に進んだ話に過ぎなかった。
またEnpediaへも、CCライセンスが適合する記事は著作権上の手順を踏んだうえで転載された[19]。主なものとして、昨日今日明日現在ゴールデンウィークシルバーウィークなどである。なお、これは「削除されそうな記事を移入する」という面では、現在のEnpediaで日常的に行われているWikipediaからのエスケープ転載と概ね同様であるが、当時のEnpediaではこのように削除されそうな記述を持ち込む行為はまだあまり前例が少なく珍しいことであった。なお、EnpediaではWeekpediaの閉鎖が明らかになる前に数件のページが単純な履歴継承の手順によって移入されていたため、それらのページは閉鎖後履歴をたどることが不可能になり必要な対処が実施された。
また、Takumi3は独自にlv9無料ホスティング上にみんなのペディア(閉鎖)を開設し、ここにも記事を残した(がすぐに消している)。
利用者の多くは、ほとんどがEnpediaへ移住し活躍しているが、前述した歴史関係に明るいヘビーユーザーTは、Azeha(元Fievarsty)氏の協力を受け、Wikiaに後継サイトとして『日本通信百科事典』を開設し、ウィークペディアに執筆した記事をインポートし(2016年2月14日に完了[20])、現在もここで記事の執筆活動を継続している。当時どういう話があったのかは残っていないが、おそらく、Azeha氏が「日本通信編集式百科事典」の運営継続が不可能になったとき、最後まで残っていたT氏は最後まであくまでEnpediaの移住ではなく独自のウィキの存続を望んだため、Azeha氏が親切心からこのウィキを作ったのだろう。ウィークペディアの後身を称している唯一のサイトであり、こうしたところからT氏のウィークペディアへのただならぬ思い入れが感じられる。ちなみに、ウィークペディアの閉鎖から6年以上が経っているが、未だこのサイト名は「暫定」の模様[21]
復活構想
2016年8月には、創設者のHanakayu氏がEnpediaのAzeha(元Fievarsty)氏の会話ページにて、「有料サーバーを借りて本格的に運営させたいので、保有しているデータサンプルを譲り受けたい」旨を明かし、定住していた利用者たちも期待の反応を示している。しかし、当時は逆に肝心のAzeha氏側がすでにウィキ離れをしていて、有耶無耶のままこの構想は立ち消えになったようである。

特徴[編集]

ここでの記述は基本的に「新生ウィークペディア計画」が本格化した以後のこととなる。それ以前はグダグダだったので特徴もクソもない。

方針と方向性[編集]

これに関しては、 Weekpedia:ウィークペディアは何ではないか(アーカイブ)には「ウィークペディアはエンペディアと似て異なるものです」「どちらも似たような感じですが、ウィークペディアはエンペディアよりも緩いです。」と、一面的にはエンペディアと似た方針で運用されていたが、こちらは同時期のエンペディアと比較してもさらに雰囲気が緩く、ネタ記事がより受け入れられやすい雰囲気があった。

技術面[編集]

記事毎にカスケーディングスタイルシートを設定できたため自己言及的な記事を作りやすかった(例としては「??」の記事など)。そのため、MediaWikiのテンプレート職人が何名か利用しており、過疎ペディアのわりにテンプレートが充実していた。

著作権[編集]

初期のころは、著作権関係に関しては非常に曖昧であった。これは旧Enpedia同様である。エンペディアはこの問題に対処するため、2013年1月に新しいウィキへ完全に移転したが、ウィークペディアではまた違った方法をとった。

一連の新生ウィークペディア改革に伴い、2014年10月3日にデフォルトライセンスが設定され、以後の投稿にはデフォルトライセンスとしてクリエイティブ・コモンズ 表示-継承3.0が与えられ、以後の投稿は原則としてすべてこれに基づくこととなった。また、デフォルトライセンスによらず、投稿者がページ冒頭にテンプレートを貼ることでそれぞれのページが独自にライセンスを設定することもできた。

このため、エンペディアでは出来ないアンサイクロペディアからの移入も出来た。ただし、テンプレートを悪戯やミスで剥がされてしまった際のリスクを考えると、ライセンスをソース上から簡単に操作できる方法で提示するこの方法には危うさもあり、苦肉の策であったとも言える。

Unpedia[編集]

Weekpedia内では、名前空間を設定して『Unpedia』(アンペディア)というジョーク記事を公開するプロジェクトが行われていた(Unpediaのメインページ(アーカイブ))。当初は真面目な記事と特に区別されることなく混沌としていたが、2014年12月、改革に伴い「アンサイクロ系記事(UCP系記事)」として半独立し、2015年2月20日に正式に「アンペディア」と変更された[22]。そのうちの多くはアンサイクロペディアで削除依頼などにかけられているジョーク記事のエスケープ転載や、ううううううううう!のようにアンサイクロペディアの有名記事のパロディが占めていた。

ロゴ[編集]

改革前は、ペイントで3分で作ったような文字ベースの適当な画像[Jokeこの一文には冗談が含まれています。真に受けるかどうかはあなた次第です。]であったが、改革により百科事典プロジェクトにふさわしいロゴが作られた。また、エイプリルフールなど、イベントに合わせて頻繁に臨時ロゴが行われていた。

コミュニティ[編集]

アーカイブを見て分かるとおり、かなりの割合でエンペディアと跨がって活動しているユーザーがいた。

また日記というページがあった。最初の投稿は2013年4月5日、Fievarsty氏による投稿。一応ウィークペディアの記事という扱いだが、実質はウィキコレクトを含めたウィークメディアプロジェクト全体の話がされていた。終末期の日記冒頭には「このページはかつてウィークペディアンやウィキコレクターたちによって、日々の出来事や呟きなどを書いていた場所です。」とはっきり明示されていた。ちなみに、MediaWikiサイトの日記の本家は、アンサイクロペディアのjaucp:日記であるが、本家では厳禁とされているレスをしまくっていたのは、現在も続いているEnpediaのRest:日記と同じである。アーカイブに残っている範囲では以下の通りである。なお(おそらく2014年頃に)新生ウィークペディア計画によって、ページ名が「日記」から「Weekpedia:日記」に変更されている。

  • 2013年(7月3日のアーカイブ:7月4日以降は不明)
  • 2014年(12月5日のアーカイブ:12月6日以降は不明)
  • 2015年前半(4月8日のアーカイブ:4月9日~6月30日は不明)
  • 2015年後半(10月14日のアーカイブ:10月15日以降は不明)

Weekmedia project[編集]

個別記事を立てるほどのことでもないので、代表的なサイトであったこの記事に書く。

当サイト「ウィークペディア」および、同じくhanakayu氏が創設した姉妹サイト「ウィキコレクト」「納豆ペディア」は、まとめて「Weekmedia project」(ウィークメディアプロジェクト)と名づけられていた。要するにウィキメディア・プロジェクトのパクリである。

2013年5月25日からは、これらプロジェクトの(架空の)運営母体として「ウィークメディア財団」が発足した。

Weekmedia project 所属サイト
サイト名 開設 - 閉鎖 URL 設置目的
ウィークペディア(Weekpedia) 2009年3月20日 - 2015年12月31日 http://weekpedia.myht.org 役に立たない百科事典
ウィキコレクト(Wikicollect) 2009年3月17日 - 2015年12月31日 http://wikicollect.myht.org ウィキのウィキ
納豆ペディア[23] 不明 - 不明 http://nattoupedia.myht.org 納豆に関するウィキ

データ[編集]

測定日[出典] 記事数 登録利用者数
2016年1月23日[24] 1050 932
2015年7月19日 1000
2015年4月28日[25] 881
2015年2月27日[26] 850
2015年1月31日[27] 767 911
2014年10月14日[28] 662
2013年7月3日[29] 323 894
2013年3月27日[30] 262 891
2012年12月5日[31] 250
2010年4月4日[32] 36 19

脚注[編集]

  1. ツィース(Tiß)さん?
  2. 初期Enpediaでいうロイヤルスターさんポジションである。初期Enpediaではほぼ毎日参加しているのはロイヤスルターさんぐらいしかおらず、3rd移行後数年ぐらいまでは特別な日を除いて最近の更新の半分ぐらいがロイヤルスターさんで、記事もロイヤルスターさんの執筆したサブカル系がかなりの割合を占めていた。こうした現象は過疎ペディアではよくあること。
  3. 同じように、当ウィキEnpediaでも初期時代は大手旅行サイトExpediaの誤りと修正されることがあった。
  4. ウィークペディア”. 日本通信百科事典. 2019年6月23日確認。
  5. jaucpにおける本人の利用者ページの過去版より
  6. 最終更新は2009年3月10日。
  7. 最終更新は2009年5月11日。サイト趣旨がウィークペディアと似ているため、後にメインページに大文字で「更新停止。あるいみこちら(ウィークペディアへのリンク)に移動した・・・かも?」と書いている。
  8. 2007年時点では日本唯一のウィキファームだった。詳細はここを参照。
  9. 同氏は当時このRentakWikiにTestpedia(AzehaWikiの前身)を設置していた。
  10. この頃の一連の流れはウィキコレクト - Weekpedia(アーカイブ)に詳しい。
  11. メインページの履歴を遡ることで確認可能であった。
  12. このアーカイブを見るとわかりやすい。
  13. ウィキ規模に対して登録利用者数が多いのもこのスパムの影響である。
  14. 実際にはWeekpedia のほうが一か月ほど早く創設されている。Weekpediaが開設されたのが2009年3月20日、1stEnpediaが開設されたのは同年4月21日である。
  15. 参照
  16. このことはEnpediaの日記でも話題になった(参照:Rest:日記/2015年#11月13日(金))。なお事後談であるが、このウィキはあっという間に消滅している。
  17. 本人のプロフィールにて、1992年5月生まれを公称している。
  18. Wikicollectのプロジェクトがあったため、ウィークペディアンらはこの手の知識は豊富だった。
  19. 参考議論:フォーラム:Weekpediaからの移入
  20. 参照
  21. メインページの記述より。
  22. なお、「アンペディア」の名の初出は2015年2月のことである。
  23. 2010年2月20日時点のメインページのアーカイブ
  24. Weekpedia - WikiApiary(アーカイブ)
  25. メインページ - Weekpedia(アーカイブ)
  26. Weekpedia - WikiIndex
  27. ウィークペディア - Wikicollect(アーカイブ)
  28. メインページ - Weekpedia(アーカイブ)
  29. 特別:統計 - Weekpedia(アーカイブ)
  30. ウィークペディア - Wikicollect(アーカイブ)
  31. Weekpedia - WikiIndex(アーカイブ)
  32. 特別:統計 - Weekpedia(アーカイブ)

関連項目[編集]

姉妹サイト(Weekmedia project)
ウィキコレクト
納豆ペディア
後継・類似サイト
日本通信編集式百科事典
日本通信百科事典
みんなのペディア
エンペディア

外部リンク[編集]